インドの歴史

 <ヴェーダ時代~ラージプート時代>

紀元前2600年頃から前1800年頃までの間にインダス川流域にインダス文明が栄えた。

前1500年頃にインド・アーリア人がパンジャーブ地方に移住。後にガンジス川流域の先住民を支配して定住生活に入った。インド・アーリア人は、司祭階級(バラモン)を頂点とした身分制度社会(カースト制度)に基づく社会を形成。

前4世紀、パータリプトラ(華氏城、現在のパトナ)を都とする最初の統一国家であるマウリヤ朝マガダ国が成立。

 2世紀頃には、デカン高原にサータヴァーハナ朝がローマ帝国との海上交易で繁栄。

5世紀は、グプタ朝が北インドを統一し、サンスクリット文学がさかんになる一方、アジャンター石窟などの優れた仏教美術が生み出された。

7世紀からはラージプートの諸王朝が分立。エローラ石窟群やカジュラーホーなどが建設された。


<北インドのイスラム化>

11世紀初めより、ガズナ朝、ゴール朝などのイスラムの諸王朝が北インドを支配するようになった。


<南インドのヒンドゥー王朝>

10世紀後半ころからタミル系のチョーラ朝が貿易で繁栄し、11世紀には東南アジアのシュリーヴィジャヤ王国まで遠征を敢行した。

13世紀よりデリーに都を置くデリー・スルタン朝が北インドを支配。

14世紀初頭には、デカン、南インド遠征を行い、一時は全インドを統一するほどの勢いを誇った。

 

<ヴィジャヤナガル王国>

14世紀前半から17世紀半にかけてデリー・スルタン朝から独立したヴィジャヤナガル王国が南インドで栄え、16世紀前半クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ王(位1509~1529)の統治のもと、王国は最盛期を迎えた。

 

<ムガル帝国>

16世紀、ティムール帝国の末裔であったバーブルが北インドへ南下し、デリー・スルタン朝を倒して1526年ムガル帝国を立てた。


<インドの植民地化>

1498年にヴァスコ・ダ・ガマがカリカットへ来訪したことを契機に、ポルトガル海上帝国が沿岸部ゴアに拠点ポルトガル領インド(1510年-1961年)を築いていた。

1757年のプラッシーの戦いでムガル帝国とフランス東インド会社の連合軍が敗れた結果、イギリス東インド会社がベンガル地方の徴税権を獲得したことを皮切りに、
イギリス東インド会社主導の植民地化が進行した。

1760年のヴァンデヴァッシュの戦い(英語版)でフランス東インド会社が敗れると実質的にインドはイギリス東インド会社の植民地となった。19世紀前半にはイギリスの対インド貿易は自由化されると同時に、産業革命の影響でイギリスから機械製綿織物がインドへ流入し、インドの伝統的な綿織物産業は破壊された。さらに、インドで栽培されたアヘンを中国輸出するためのアヘン戦争が行われて三角貿易体制が形成されると、近代的な地税制度を導入してインドの民衆を困窮させた一方で、タタ財閥等が誕生するなどした。

インド大反乱(1857 - 1858)をきっかけにして、イギリス政府は1858年インド統治法(英語版)を成立させてインドの藩王国による間接統治体制に入り、バハードゥル・シャー2世をビルマに追放してムガル帝国を滅亡(1858年)させた。

その後、旱魃による飢饉が頻発し藩王国からイギリス直轄領に人々が移動したため支援に多額の費用を出費する事態になった。藩王国の統治能力を見限ったイギリス
政府はインドの直接統治体制に切り替えることになり、1877年にイギリス領インド帝国が成立した。


<イギリス統治時代>

イギリスはインド統治に際して分割統治の手法をとった。インド人知識人層を懐柔するため、1885年には諮問機関としてインド国民会議を設けたが、1905年のベンガル分割令への憤りなどから反英機運が一層強まった。

こうした中、イギリスは独立運動の宗教的分断を図り、1906年に親英的組織として全インド・ムスリム連盟を発足させた。第一次世界大戦で、自治の約束を信じてイギリスに戦争協力したにもかかわらず裏切られたことや、日露戦争における日本の勝利(非白人国家による白人国家に対する勝利)などの影響を受けたこと、民族自決の理念が高まったことに影響され、ビルラ財閥などの民族資本家の形成に伴いインドの財閥が台頭し民族運動家を支援したことから、インドではさらに民族運動が高揚した。

マハトマ・ガンディーの登場は、いままで知識人主導であったインドの民族運動を、幅広く大衆運動にまで深化させた。ガンディーが主導した非暴力独立運動は、イギリスのインド支配を今まで以上に動揺させた。

第二次世界大戦では国民会議派から決裂したチャンドラ・ボースが日本の援助でインド国民軍を結成し、独立をめざす動きも存在した。


<独立>

戦後イギリスはインド国民軍の将兵を国王に対する反逆罪で裁判にかけたが、これが大きな反発を呼び各地で暴動が勃発した。戦争により国力が低下したイギリスは
独立を容認することとなった。

インド内のヒンドゥー教徒とイスラム教徒の争いは収拾されず、1947年8月15日、イスラム教国家のパキスタンとの分離独立となった。

1948年1月30日、マハトマ・ガンディーは、ヒンドゥー至上主義活動家によって暗殺された。

独立後の初代首相にはジャワハルラール・ネルーが就任した。独立当初はイギリス国王を君主に戴く英連邦王国(インド連邦)であり、1950年に共和制に移行した。政教分離の世俗主義という柱で国の統一を図った。

東西冷戦時代は、非同盟運動に重要な役割を果した国であった。長期にわたって国民会議派が政権を担った。パキスタンとの対立はその後も続き、カシミール問題と東パキスタンを原因として、3度の印パ戦争が勃発した。両国の対立は現在も続いている。1961年12月、インドのゴア軍事侵攻が起き、領土は1961年12月19日にインドに併合された。


<現代>

1990年代よりインド人民党が勢力を伸ばしアタル・ビハーリー・ヴァージペーイー政権が誕生した。ルック・イースト政策を掲げてアジア諸国との関係も重視。中立非同盟とはいえ、アメリカ、イギリスとも友好な関係をとっている。一方で、中国、パキスタンとは、緊張関係にある。

近年はITサービス業を中心に経済成長を続け、ロシア、ブラジル、中国とともにBRICsの一角として注目を集める存在となり、IT分野においてはその技術力が欠かせない存在となっている。 

 

(Wikipedia より抜粋して一部編集)